
少林寺拳法創始者・宗道臣が願ったのは平和で豊かな社会(国づくり)でした。
社会を良くしていくには、自分のことと同じように他人のことも大切にできる人間をひとりでも多く育てる
‐人づくり‐
しか方法はないと考え、その手段として教え・技法・教育システムを兼ね備えた少林寺拳法を創始しました。
少林寺拳法 吹田市スポーツ南吹田
少林寺拳法創始者・宗道臣が願ったのは平和で豊かな社会(国づくり)でした。
社会を良くしていくには、自分のことと同じように他人のことも大切にできる人間をひとりでも多く育てる
‐人づくり‐
しか方法はないと考え、その手段として教え・技法・教育システムを兼ね備えた少林寺拳法を創始しました。
創始者・宗道臣(1911〜1980)は、第二次世界大戦終戦(1945年)後、戦争の結果として、荒廃してしまった日本の国土と国民の心をどのようにして立て直していくか、自分にできることはないかと悩んだ結果、
「国の未来をつくるのは、それにふさわしい教育を受けた若者たちである」
と思い定め、国家のあり方・人の道を、若者たちに説いて聞かせることから始めました。
しかし、講釈ばかりの活動に、人は思ったほど興味を示しませんでした。
宗道臣は思い悩みます。
深い悩みの中、ある夜の夢にハッとします。
その夢とは……。菩提達磨(ぼだいだるま)が現れ、宗道臣が追いかけていこうとすると、背中を見せて立ち去ってゆく……というものでした。
宗道臣はこの夢から覚めた後、かつて自分が中国で見た一つの壁画を思い出します。
それは、菩提達磨が考案したと伝えられる修行法を実践する僧侶の姿を描写したものでした。
壁画には、楽しそうに二人一組となって拳技の修行を行うインド僧と中国僧が描かれていました。
宗道臣は、国の未来をつくる若者の教育は、精神教育だけでは不足であると悟り、自身が身につけていた東洋の武術・武道をわかりやすく新たに体系づけ、拳技の修行を行う中で精神教育も施されていくという、身心一体の教育手段「少林寺拳法」を1947年に考案したのです。
1911年(明治44年) | 現在の岡山県美作市で生まれる。 |
---|---|
1925年(大正14年) | 14歳の時に、奉天の祖父のもとへ出立し奉天中学を修了後に一時帰国し、家族の相次ぐ病没によって一人身になってからは東京の頭山満宅に居候する。中 |
1928年(昭和3年) | 17歳の時に、再度満州へ渡る |
1929年(昭和4年) | 18歳の時に、「満蒙大旅行」を行い、遼寧省・吉林省からハイラル・ハロンアルシャン・熱河省を回って各地の拳技を学ぶが チフスに感染したことから、翌年帰国。 |
1931年(昭和6年) | 20歳の時に、3度目のの渡満を行い、1936年 25歳の秋、西安へ行く途中で文老師とともに嵩山少林寺に立ち寄り、「義和門拳 21 代師父」継承の式を行った。 |
1947年(昭和22年) | 10月に満州から帰国するが、自分の事しか考える余裕のない日本人の姿を見て心を痛める。 若者達に他人を思いやる心を持ってもらおうと、同年10月25日に香川県仲多度郡多度津町で禅の精神修養と護身を旨とする拳法の流派および宗教団体たる少林寺拳法を創始する。 |
1951年(昭和26年) | 日本政府による宗教法人法の成立により、「金剛禅総本山少林寺」の認証を受け登記する。 |
1956年(昭和31年) | 日本少林寺武芸専門学校」開校。香川県育英会東京学生寮寮監内山滋が香川県出身の東京在住の学生に指導開始。 |
1957年(昭和32年) | 「全日本少林寺拳法連盟」設立。 |
1963年(昭和38年) | 「社団法人日本少林寺拳法連盟」設立。 |
1972年(昭和47年)) | 「国際少林寺拳法連盟」(ISKF)が発足。 |
1974年(昭和49年) | 「少林寺拳法世界連合」(WSKO)へと移行。 |
1980年(昭和55年) | 初代師家 宗 道臣の逝去に伴い、娘の由貴が第二世 宗 道臣として管長に就任。 |